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On Your Mark ~それは前向きな妄想~

みなさんはジブリの『On Your Mark』という作品をご存じでしょうか。
様々な考察が飛び交っている、知る人ぞ知る名作であり、これぞ宮崎駿作品の最高峰と言う方もいらっしゃる作品です。
今回はこの作品に対する私なりの考察を浅はかながら述べていきます。
※おそらく多くの方がこういった内容を執筆されており、もし私の考察が既出だった場合は大変申し訳ございません。その場合は優しく教えていただけると助かります。


さて結論から言うと、私の中ではこのストーリーは登場人物であるチャゲアス2人の妄想話であると思います。
つまり、日頃原発の作業員として働く二人が、「俺たち普段はこんな仕事してるけどさ、本当はこんなことしたいよね……」と話している内容であるということです。

OPのこの場面を見てください。

原発をバックに二人が作業車?のようなものに乗っています。この車は地底でのシーン(私の考えで言うところの「妄想シーン」)でも出てきます。

私は何度か見返すうちにこの車のデザインが気になって仕方ありませんでした。
と言うのも、車には正面からみて5つのライトがついているのですが、このうち向かって左側3つのライトの位置が上下の画像で異なっているのです*1
もしこれが、単なる作画ミスでなく意図的な相違であったら。

私はプライベートで自分の声を聴いたときに、普段聴こえる自分の声との違いにおどろくことがあります。この瞬間自分の発した声がリアルタイムで耳に入っていっても、やっぱり他者に聴こえている自分の声とは違うのだなと。
それだけ自分自身を正確に客観視することは難しいということです。

これと同様に、この二人が普段この車に乗って作業する原発作業員であった場合、彼らは普段運転席にいるでしょうから、そこから見える景色は封印された原発含めてリアルに描写できますが、自分たちがどう見えているのかは正確には描写できないのではないでしょうか。
また彼らが解放する鳥のような少女も、その羽の付き方は岡田斗司夫氏が指摘するように違和感があると思いますし、いくらなんでも地底にあんな巨大都市を作れるとは思えない自分がいます。

これも結局は、普段から同じような仕事を繰り返す彼らにとっては馴染みのない概念すぎて妄想の中でも正確に描写できなかった、そのしわ寄せなのではないかと思います。

ここからさらに私の妄想も加速していきます。
では、彼らがこのカルト教団を襲撃するのは2人のリアルとどういった関係にあるのか?
チャゲアス2人に原因があるわけではありませんが、リアルでの2人は何の罪もない人たちを心の拠り所である”ふるさと”から引き離しています。またこの妄想の中での2人も終りゆく世界で唯一見つけた神と呼べる存在にすがって生きる人たちを虐殺していきます。それも躊躇なく。

チャゲアス二人はきっと自分たちの仕事に対して、正当性を感じることができないのではないでしょうか。もちろん、現実として事故が起きてしまったのだから、人々をそれから遠ざける必要はあります。ただ、それは対価としてお金をもらっていたとしても、人として易々とできる行為ではないと思います。そういった板挟みの環境の中で、自分たちを「それでもやらなきゃ」と正当化させるために妄想の中では”カルト教団”という誰から見てもわかる悪役を立てて、それを正義のもとに制圧する。
自分たちが本当に他者のために貢献できているのかわからない現実に対して、これはわかりやすい社会貢献ですよね*2
このように日頃の仕事に対する不満、不安に対する跳ね返りとして、妄想の中ではせめてちゃんとした正義の味方でありたいという彼らの心中がこういった描写につながったのではないかと思います。

ここまで、彼らが自分たちの日々の行いを正当化する内容が続きましたが、その過程でわかりやすい悪として描かれた組織から翼の生えた女の子を救出する、これにはどんな意味があるのでしょうか。
私はあえて「翼の生えた女の子」自体には深い意味はないと思います(現状)。
と言うのはこの「翼の生えた女の子を助ける」というのは、彼らにしかわからない彼らの信念(誰にも理解されないかもしれないけど大切にしておきたい理想のようなもの)、を誰にも触れられない世界へ解き放つ(言い換えれば守り抜く)ことであり、それ自体に意味があると思うからです。

日々原発作業員として不本意ながらも何とか自己正当化をしながら生活していくチャゲアス。でもやっぱり最後まで問題意識はあって、明確に言葉にできないけれども「いや、でも……それでも……このままでいいのか……(俺たちorこの世の中)」と一人の人間として悩み続けるのです。
そして悩むのは、彼らがただの機械ではなく人の心をもった人間だからです。悩む対象はその人が譲れないもののはずです。だからそれは誰に何と言われようとも自分の力で解決しなければなりません(解決できなくとも解決に向かうべきだと思います)。
きっと、こういったものが知らず知らずのうちに個人個人の生きがいになっていくのではないでしょうか。
だから2人は最後にこの答えの出ない問いにキスをして、笑顔で空に解き放つのです。

 

きっとこの短編アニメには答えはないのだと思います。
皆さんの考えもぜひコメントしていただけると嬉しいです。
それでは。

 

*1:向かって左側の3つのライトが下の画像では外側に寄っている。上の画像ではここまで寄っておらず、むしろ外側のタイヤの上に空間ができるほどです。

*2:学生時代につまらない授業中に「もし今この学校に悪い奴らが来たら…」とか妄想しませんでしたか?