音楽と形式と

音楽について好き勝手語ったり解説したり

『運命』という重み、ここだけの話

昨日ベートーヴェン交響曲第5番1楽章の解説動画をUpしました。

youtu.be


完成度とか内容の深さで言うと、正直他の動画と比べてどうかなといった感じです。

今まで解説してきたのは展開部で必ず第一主題と第二主題が展開されており、解説していてとても気持ちがよかったんですよね。
ただ、今回はそうではなくて、展開されるのは第一主題のみです。もちろん第二主題はCodaで展開されますけど、展開部では展開されないということが解説する上でやっかいでした。

ソナタ形式というのは「二つの異なる出来事やものごとが、実は同じ世界のできごとでした」というものだと思っていて、その説明の経緯として展開という過程があるというのが僕の自論です。

日本人とブラジル人は地球のほぼ真反対にいるけど、出会ってみたらちゃんと分かり合うこともできて、「そういえば俺たちって同じ人類じゃん」みたいな。その時には言葉の壁や文化の違いから口論したり殴り合ったりして、展開部とは雨降って地固まる過程なわけです。

口論、かっこつけて言えばディスカッションでは片方が一方的に言い負かすよりも、互いに対応した1:1の議論をしてこそ建設的な結論が出やすいと思います。なので、展開部という場面で第二主題が展開されないというのは、そういった意味で難しかったです。

こういった考え方って音楽の教科書では触れられないし、僕の記憶では音楽の先生もソナタ形式を自分の言葉に置き換えることはしませんでした。

ただ多くの人にこの交響曲第5番は『運命』というよくわからない言葉とセットで認知されているので、ある程度「一般的なライン」を言及する必要があるし、動画のスクリプトを作っている時も自分の言いたいことより、まずは世間体のラインに引っ張られていました。

極めつけは、そういう「一般的なライン」について調べようとしてネットで検索しても主観的な感想が多く正直あてにならないこと*1
なぜ美術作品について検索すると、制作に使われたキャンバスなどの素材についても言及されているのに、こと「クラシック音楽」ではこのような状況なのでしょうか?

きっとあるはず、無いことを証明できないものを常に意識して今回の動画は作りました。

唯一ほかの動画と決定的に異なる部分もあります。それは本編でオケ音源を使用できるという点です。
普段はスクリプト作成と平行して死ぬ気で音源を作成しているのですが、今回はYouTubeのオーディオライブラリに使用できる音源があったので、この手間は省かれました*2

これも最初は非常に助かるなと思った半面、こういう音源が苦手な層がクラシック音楽から離れていくのでは?と疑問に思ったりしましたが……


投稿してから時間がたった今でも『運命』という呪いのような何かに押しつぶされそうです*3
ぜひご興味のある方は動画をご視聴ください。
僕の動画を通じて、聴こえなかった音が聴こえるようになったり、異なる視点からの観照につながれば幸いです。

またサムネイルを描いていただいた白はむ様、素敵なイラストを本当にありがとうございます。
これがなければ上記のような理由からワンチャン投稿すらできませんでした。

今回の動画も”流動する形式”について言及するような内容に仕上がっていることを祈ります。

*1:決して個人的な感想を述べることを否定しているのではありません。ただいかにも客観的に曲を解説しているように見えて、結論として感想文まみれになっているものが僕は「あてにならない」のです。その点、イタリア語のウィキペディアはあてになります。

*2:具体的な音源の記載がなく指揮者やオケについては不明です。

*3:もしかしたらベートーヴェン以降の作曲家たちもこのような気持ちだったのかもしれませんね。